第106回市民雑学講座報告

演題:講談「介護に学ぶピンコロリで逝く」
講師:田辺鶴瑛師匠 女流講談師 真打
日時:2019年6月8日(土曜日)
会場:サンパネル・コンベンションホール

第106回目の今回は田辺鶴瑛師匠をお迎えし講談による介護の話を聞くという珍しい講座となりました。

岡田氏が司会進行を務める事を述べ、大内会長が「健康・認知症の話しだと満席になる。今日は認知症の中でどのように生きていくかの話である。楽しく伺いたい」と開会の辞を述べました。次に岡田氏が簡単な自己紹介と下記の講師紹介をされました。「師匠はNHKラジオ、浅草木馬亭での娘さんとの親子講談会、地域寄席などで活躍、本来の講談に加え介護、自閉症などの新しい分野に進出されている事、講演の後半では介護を通して人生を見直すというご自身が作成したビデオも見て頂きます。楽しんでお帰り頂ければと思っています。では鶴瑛師匠お願い致します。」

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師匠の講演は下記の語りで始まりました。「紹介に預かりました田辺鶴瑛です。田中角栄ではありません。もう若い人からは忘れられている。居なくなると有難がられる。居なくなり方は色々あり、ピンピンコロリを望んでいるが、ポックリは0.3パーセントしかない。この会場では3人いればいい方。あとは介護されることになる。お金の有る人は高級老人ホームがあるが、無い人は問題がある。覚悟を決めこの世に執着しすぎない。戦国武将は潔く死ぬしかない、執着しなかった。お金の有る人はいいが、無い人は毎日努力して病気が来ないようにする。くよくよしない。自分を愛すること。毎日自分を許すと口でいう。義父の介護の時に介護の現場に勉強に行った。大変勉強になり今となっては有り難かった。皆さんも現場を見ておく事が大切。」

先ずは講談となり、天正10年5月29日織田信長が安土から中国征伐に出発し本能寺に入った直後6月1日本能寺の変が勃発、明智光秀の軍勢が乱入するところで「面白い話に入る前で今日はおしまい」となりました。すばらしい語り口で目の前に情景が鮮やかに浮かんできました。

師匠はまず実母の話に入っていきました。「私は一人娘。東京で浪人の時、母が脳腫瘍になり入院。病気の姿を見るのが辛く、3か月たった頃から何時まで続くのだろうと介護が嫌になり、死を願った自分がいて葛藤の日々が続いた。4年目に亡くなった。急に自由となったがポッカリ穴が開いた。何をしていいか全く分からなくなっていた時に草間彌生の本を読み、本人に会いに行き助手になった。その後辞めて劇団などに居たが、出来ちゃった結婚をして夫の母の介護をすることになった。

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介護はパワーハラスメント嫁として病人を上から目線で扱った。義父、夫は何もせず。自分もいい嫁を演じていたが、所詮他人なのだ、出来る範囲内でやっておけばよかったと思った。介護は世間体を気にしない事。いつ終わりが来るか分からないので無理せず本音で付き合う事。それから大切なのは持ち金。何パーセント介護に廻せるか。無い人は介護はない。近くの大学、病院にチラシ配り、ボランティアやってくれる人を探す。色々な世代の人と付き合いお互いが支え合う事が大切。共生社会を作る事が大切で自治体にやって貰いたいと思っている。」

師匠は次に義父を紹介しました。「義父は早稲田大学卒業の一級建築士。あちこちの現場に行き多忙でたまの休みにはゴルフ、マージャン、女性。夫婦は口もきかなかった。義母は愚痴ばかりだった。私は夫と結婚でき幸せになった。これも義父のお蔭と感謝している。義父は夫の意見で身に覚えあったか、罪滅ぼしのためか義母の送迎を3年間やった。延命治療する是非を周りと話し合ったが、器械に繋がれている義母は「「これ以上生きるのは充分」」と言いやめた。そして幸せだったと感謝して亡くなった。その後、義父は高齢者向け見合パーティーに度々出ていた。早稲田の建築を出ているのでもてた。そのパーティーで女性と知り合い家を出た。10年後女性から毎晩電話で「「彼は認知症になった、脳梗塞で倒れた、夜中に大声出すのでこれ以上面倒見切れない、引き取って欲しい」」と平成18年1月に云ってきた。引き取る事を決め入院する病院を探したが、大声を出すなどして断られ在宅介護に決めた。真言宗のお坊さんに相談。一階の仏壇そばにベッドを置いた。その方が本人に孤独を味わって貰い反省させた方が良いとの事であった。また往診医は延命治療しない医者を選んだ。お金の有る人なら延命治療もいいが、無い人は早く死ぬ方がいいのでは。大声出し騒ぐ患者はエネルギーを使い早く死ぬが、延命治療すると寝たきりになり省エネで長生きするのでは。」

師匠は義父が早稲田大学出身を紹介した際のコメントは下記でした。「講演は早稲田関係きりしか呼ばれてない。今度は日大に替えるか。後でお見せするビデオでは毎年大学を替えるか。」

師匠は引続き義父の介護の話をされました。「隣の部屋に寝て介護を一生懸命やった。「「助けてくれー、水だ、助けてくれー、水だ」」と何回も夜中に起こされた。明日死ぬなら我慢もするが、いつも優しく親切にとか怒ってはいけないのはムリ。口喧嘩してもいい。激しく口答えするがあとで謝った。本音で介護する事が必要。お互いに分かり合え得る事が必要。また実母、義母を介護してきたので、この爺ちゃんには楽しい介護をしようと考えた。介護認定で要5になったため、ヘルパーさんに手伝って貰うようになり楽になった。更に、隣家に一人暮らしで義父の妹(あだ名がヤマンバ)が住んでいて認知症。この人の面倒も見てきた。爺ちゃんには夜中に四六時中大声で起こされるので、驚かそうと思い洗濯ネットや馬の面などを被ってベッドに行った。面白くなり、夜といわず昼も着けて対応した。このため介護が楽しくなり音を立てて変わった。ビデオを持ってきたので見て下さい。」

ここでビデオが始まりました。いずれの場面も会話が面白く会場も絶えず爆笑でした。杉並区の自宅、ここから部屋にベッドで爺ちゃんが寝ているシーンとなります。師匠と爺ちゃんの会話が秀逸で受け答えが抜群でした。「今何時だ」「もう一時よ」「もう一時か。朝飯も食わないのに」「食べたわよ。もう少しで昼ご飯よ」とか、「小麦ってだれ」「小麦って大麦の下だよ。誰だ。忘れた」「忘れちゃったかな、爺ちゃんの何?」「孫みたいなものか」「孫だよ」「そうだよ 孫だよ」とか,「爺ちゃん、私はだれ」「細君だ」「私爺ちゃんの奥さんなの」「そうだよ」。師匠が行こうとすると「どこへ行くんだ」「誰が」「わしだ」「歩けないでしょうに」「そうか」などの会話がありました。

次の場面で「早慶戦どうだった」と師匠が聞いたら「勝つ時もあれば負ける時もある。勝った時は校歌を唄い負けたときは涙した。人生の一番のクライマックスだった。血沸き肉躍った」と言い、校歌を唄いだしましたが、よく覚えているのに感心しました。

場面が変り往診医師、看護師、入浴スタッフなどが来て往診、入浴をしました。この間も信じられないほど、軽妙な会話がありました。

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更に場面が移り、先ほど述べられた洗濯ネットや馬の首と頭の被り物で師匠が登場。馬を見て「何だバカ、馬か、バカ、何でこんなところに来るんだ」。師匠が面を外してから戻って来て「裏の家の馬が逃げ出したんだって。今、馬来なかった。家の中に入って来なかった」、爺ちゃん「さみしいと云ってた」などの応答があり大爆笑に包まれました。

その後、師匠が朗々と三方ヶ原軍記を始めると、爺ちゃんは絶妙なくだりの所で「いやー」とか「いやーいやー」と合いの手を入れていました。語りが終了したとたん「いやー、ご立派」「勇気凛々だ」「体が浮くようだ」「病気治っちゃう」などとはっきりと言っていました。このあと、葬儀の場面でビデオは終了しました。

最後に師匠からの感想です。「爺ちゃんは2011年10月頃から腸が衰弱し食べなくなり、また呑み込まなくなり食事を拒否。爺ちゃんが可愛くなってきたのでこのまま看取ろうと思った。年金の方が介護費用より多いので、爺ちゃんを生かそうと思い医師と相談入院させた。勧められた人工透析(認知症なのでせず)、点滴(がんの危険性あり)、胃ろう(娘が反対)はしなかった。あの世に行くチャンスなのに生きても楽しくないだろうな。自分も踏ん切りがついたので家に連れて帰った。夜寝ないで昼寝して介護した。亡くなる間際に元気になり、目がキョロキョロし、婆ちゃんがお迎えに来たのかなと思った。そして翌々日に息を引き取った。早稲田の歌を唄い「「フレーフレーすすむ!!しっかりあの世に行ってよ」」と見送った。爺ちゃんに寄り添って介護してきたが、命の尊厳を知らされたし爺ちゃんのお蔭で勉強させてもらった。爺ちゃんみたいに死んでいきたいと思った。在宅介護は人生の宝と思った。死が身近になった。深刻に介護しないで楽しくやらねばと思った。初めて感謝して介護ができた。今日は、最後まで聞いて頂き有難うございました。」会場から盛大な拍手が沸き起こりました。

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質問の時間に移り、会場の女性から下記の発言がありました。「自分は一人暮らしで自立して生活している。死ぬと孤独死と呼ばれるが、私は自立死と呼んでほしい。どう思いますか。」それに対して師匠からの回答は下記でした。「私も自立死と呼ばせて頂きたい。これ使いたい。自立死は大往生と思う。良かった、ご苦労さん、有り難うと人生の双六の上りと思っている。」

最後に司会進行係の岡田氏の閉会の辞を以って講演会は大盛況のうちに終了しました。

師匠の軽妙な語り口、介護は相当な葛藤があったと思いますが、色々学んで、深刻にならず楽しんで介護をされた事、また本物の講談などご披露頂き、本当によく笑い、大いに勉強になった講座でした。

今回の講演会の参加者数は推定180名(市民:138名、会員・家族:42名)参加会員家族42名(敬称略): 青山, 阿部、市川(彰)夫人、伊吹、大内、大森、岡田、風間夫妻、加藤、上町、倉田、紅松(容)、黒田、肥沼夫妻、小菅、小林(俊)夫妻、坂本、崎山、佐々木、髙橋(文)、髙橋(正)夫人、滝川(桜)、滝来(京)、土橋、當間夫妻、戸田、富澤夫妻、野中、野村、福田(昇)、藤井、町田(和)、三宅、森本、安田、山本(岩)、吉田勝

(文:坂本英夫、写真:野中昭夫)