この題材を決めたとき、まず人が集まるか懸念がありました。その理由は、今回は98回目であるが、当市民雑学講座で文学に関する講座は初めてであり、入場者の中心である60-70代の方々に馴染むか心配でありました。千葉先生自身も不安を漏らしていました。ところがどうでしょう、結果は107名(市民74、会員34)と百人を超える大盛況であり、予想外に文学に興味のある市民が多く驚きました。
大盛況の要因の1つに、6月8日(木)の読売(添付抜粋記事)、朝日等の各新聞に、谷崎潤一郎の70年代の「晩年日記」に関する千葉先生のコメントの記事が掲載され事がある。これにより谷崎潤一郎の研究における千葉先生の知名度の高さを実証したと思います。 第2の懸念は、プロジェクターにより舞台の大画面に投影する事をせず、A4版資料4枚による講座方式でありました。下記に第1頁を例として示します。しかし結果的には逆で、千葉先生の資料の朗読と説明に従って、入場者が常に資料の字面を追って行く事が分かりやすくにつながり、千葉先生の話の巧みさと相まって、良い理解を生んだのではないかと思います。流石 千葉先生は常々 学生を相手に講義をされている方と感心しました。 このような状況の中で、15時30分から講演会を開催しました。まず、大内会長からユーモアを交えて稲門会の活動全体について紹介がありました。次に、司会役の黒田さんから、千葉先生の紹介は勿論のこと、千葉先生にも勝るとは劣らない熱弁による谷崎潤一郎論、森鴎外論の話がありました。 千葉先生は、子供の時から本が好きであり兄たちの本を読み漁っていました。中学生時代に谷崎純一郎に出会い、その後大学修士時代に森鴎外を読み、文学人生を決定的なものとしたそうです。資料冒頭にある森鴎外のサフランの冒頭の文章に「子供の時から本が好きだと言われた。・・・・・凧というものを揚げない、独楽という云うものを廻さない」と言う記述がありますが、これは正に先生に置き換えることができそうに思えました。 千葉先生はサフランの解説に中で「異質なもの同士が出会えば、そこに必ず物語が立ち上がる。鴎外とサフランのあいだには歴史(物語)が立ち上がる」と記載している。千葉先生は、物語”Story”と歴史”History”は同類語と説明されました。 千葉先生は、サフランは文学のエッセンスであり、学生に必ず学ばせたと述べました。小生は、サフランを講演前に読んだときは頭に入ってこなく、何がエッセンスが今だ分からないが、一つ一つの言葉の持つ意味の奥深さや、目の付け所を少し教わった気がします。ぞの中で、頭に残ったのは下記の最後の文章である。 「宇宙の合間で、これまでサフランはサフランの生存をしていた。私は私の生存をして行くでしょう」 夏目漱石は望まないイギリス留学し神経衰弱に落ちったことは有名であるが、一方、鷗外は苦労して望む留学を果たし、しかも軍医として留学して、その後文学者として花開いた話は興味深いものでありました。 一方、谷崎潤一郎は、女性の皮膚や足に対して性的魅力を感じ、それに溺れる男の性的倒錯を綴った刺青(明治43年24歳作)、息子の嫁に性欲を覚える不能老人の性的倒錯が日記形式で綴られた瘋癲老人日記(昭和36年75歳作)など性的倒錯作品を描きました。即ち、25歳、75歳でも関心の対象は同じだと千葉先生は指摘された。 ジエローム・ケイ・ジエロームは「どれを読んでも筋は極まり切っている」と云うが、千葉先生は文体、思考、時代などで異なると述べました。
2年後輩の村上春樹と自分は同じ早稲田大学文学部で学生時代は大差がなかった。しかし今や彼は世界的に有名な作家、一方自分は一介の教師であるとの例に出して、初動時は無視できる小さな差が時間の経過と共に極めて大きな差になるという、南米で蝶が飛べば北米でハリケーンが発生するというButterfly effectを紹介された。これは新鮮な発見でありました。
講演後 入場者からの質問に千葉千葉先生は丁寧に回答された。講演会は制限時間一杯まで続きました。
講演を聞いた4人の入場者に話を聞きました。皆さん、「文学とはなんぞやとは一言で言えないが、千葉先生の話は分かり易く、ユーモアもあり文学を楽しく聞くことができ、千葉先生の文学への造詣の深さに感心しました。」とのことです。 千葉千葉先生は、来年3月大学を退官予定であり、そのような多忙の中で講演を聞くことができたのは幸運でした。また 千葉先生は多摩湖町にお住まいの当稲門会の会員であり、東村山稲門会としては、市民対し、当会員の人材の深さを誇れたと思います。
(文:富澤 文雄、写真:赤荻 洋一、小菅 宏)