第105回市民雑学講座報告
演題 金栗四三と箱根駅伝
講師: 佐竹弘靖氏 専修大学ネットワーク情報学部教授 日時 平成31年4月21日(日) 14:30~16:30 会場 サンパルネ・コンベンションホール
平成11年に第1回を開催した市民雑学講座は、回を重ねて105回目となりました。 今回は「金栗四三と箱根駅伝」と題し、放映中のNHK大河ドラマの主人公である金栗四三氏にスポットを当て、専修大学の佐竹教授に彼の波乱万丈の人生と功績について熱く語っていただきました。 金栗四三は熊本県玉名郡春富村の出身、父43歳の時の7番目の子供でした。地元の小学校には片道6キロの道のりを15-16人の仲間と通ったそうですが、その時は足は決して速くはなかったようです。中学進学直前に父が死去、入学は困難と思われたが、兄実次の援護で県立玉名中学に進み、優秀な成績を残して東京高等師範学校(現 筑波大学)に入学しました。東京高師の校長は加納治五郎、この出会いが四三の運命を大きく左右することになります。東京高師で四三はまず剣道を始め、そこで「物事は初めから自信がなくても、必死にやり続ければうまくなれる。それに運動においては呼吸が大切である」ということを学びました。その後、春・秋に行われる校内長距離走で「ハーハー、スースー」の呼吸法により力を発揮、明治45年開催のオリンピックストックホルム大会に三島弥彦と共に派遣されることが決定しました。エントリーした1万mは棄権、マラソンに全てをかけましたが、スタート直後のスピードについていけず、26~27kmあたりで倒れ直接宿舎へ戻ってしまいました。捲土重来を期して猛練習をしましたが、次のベルリンオリンピックは開催中止、大正9年の第7回アントワープ大会は完走するも16位、3度目のオリンピックのパリ大会では途中棄権で引退を決意する結果となりました。 次に箱根駅伝と四三について話題が移りました。大正9年に「四大専門学校対抗駅伝競走」(コースは日比谷公園―箱根之関所,参加校は早稲田,慶応,明治,東京高師)が開催され、積極的に動いた四三はスターターを務めました。その後の箱根駅伝の隆盛はご存知の通りです。 ところで、昭和42年の春、スウェーデン・オリンピック委員会より1通の手紙が届きました。この時途中棄権し宿舎に戻ってしまった四三に対し、現地でゴール数十メートルを走りテープを切るという粋な演出を企画してくれたのです。この時のアナウンス「日本の金栗四三選手、ただいまゴールインしました。記録は通算54年8ヶ月6日と5時間32分20秒3であります。これで大会すべての日程を終了しました」。いかにも四三の人柄をうかがわせるエピソードです。 最後に佐竹先生から嬉しい話が披露されました。何とご子息が早高院からこの4月に早稲田大学に進学、野球部に入部されたとのことです。彼の早大での活躍を期して、会場からは大きな拍手が起こりました。 今回の講演会の出席者は80名(市民46名,会員・家族34名)でした。 参加会員・家族34名(敬称略):青山, 阿部, 伊川, 市川(彰), 大内、岡田、加藤、上町、鴨田、倉田、紅松(容)、黒田、小菅、小森、坂本、崎山、佐々木、髙橋(正)、滝川(桜)、滝来(京)、太刀岡、月森、當間・同夫人、富澤・同夫人、中川、野中、野村、波多野、藤井・同夫人、森本、吉田(勝) 講演終了後の佐竹先生を囲んでの懇親会には15名が参加、スポーツ談義に花を咲かせました。
(當間 昭治 記、 野中 昭夫 写真)