5月26日(日)の第61回本庄早稲田100キロハイク2日目の催事に際し、早朝からの会場設営や参加学生等への応援・交流活動にご参加いただき有難うございました。令和元年、そして昨夏の当会納涼会に出席された市内・社会人の廣田佳郎様(令6法務研究科卒)が司法試験の受験準備中に参加され、会員の注目を浴びました。
 終日、好天に恵まれて主催学生側は勿論、幹事一同が当初に描いた催事活動を計画通りに実現でき、安堵いたしました。前日25日朝の本庄市のスタート会場では、学生等が吉田本庄市長(平1文)、続く粳田市議会議長の激励挨拶、「早稲田精神昂揚会」宣言、選手宣誓等の開会式次第が滞りなく進められて市民等の歓迎ムードの中で、定刻9時にスタートしました。
 初日の夜は東京家政大学狭山キャンパス(入間市)の体育館で仮眠し、二日目の早朝5時に起床、軽朝食を摂った早稲田所沢キャンパスを経て、狭山湖を下りきった多摩湖自転車道に入りました。疲労困憊し切った学生等が予期せぬ8連の「東村山稲門会・のぼり旗」を眼にして感嘆し、続く先方に見た2連の「東村山稲門会・横断幕」と当会員が振る「W旗」や「W団扇」に大歓声が上がりました。
 今年の当会応援ブースを通過した最速の集団組は11時24分と記録されました。当会会員の「完歩激励」エール、後輩を労わりながらの清涼飲料水やタブレット塩飴の配布交流、さらに続く空ペットボトルや各種ゴミ回収等の一連の支援活動は、今年に限って約一時間余で終了しました。例年に比して参加学生等(430名)の減少と彼らの歩行スピードが総じて速まったからと推測されます。
 皆様の心温かな応援・支援・交流活動が、残り約28キロ先の大隈記念講堂を目指す学生とOB参加者の疲労感を癒す一服の清涼剤となり、途中での棄権もなく完歩督励に資したと確信します。学生等にとっても、我われ稲門会員との思わぬ邂逅が思い出話の一つに残されれば幸甚です。
 今年も、初参加の某会員から「私の一言声援に、女子学生が感涙して深く頭を下げる光景を垣間見ました」の感想が寄せられました。また参加学生の投稿(note)「道中休憩所でもなんでもない所で校友会のおじさんたちが塩分チャージと水を配ってくれててその優しさに涙が出た。何まわりも違くても世代が離れていても早稲田というだけで縦の繋がりが生まれている。愛校心が強くならざるを得ない」
(出典:100キロハイクに参加してきた/ポト夫
 https://note.com/coco_piece/n/n4820d5c4d733)
も見つけました。
 1963年(昭和38年)に「早稲田大学アメリカ大陸徒歩横断隊」が、241日を費やしてサンフランシスコからニューヨークまでの約6000キロを踏破したことが契機となり、同年秋に早稲田大学「本庄~早稲田100キロハイク」第1回が開催され、60年余の歴史を有する100ハイは今や「早稲田らしい名物行事」に育ったようです。この度の催事に際し、万障お繰り合わせされて当活動にご参加いただきました会員諸兄姉に心から感謝を申し上げます。

100キロハイク写真
参加者:18名
廣田佳郎(社会人:法務研究科卒)、阿部 茂、大内一男、岡田一郎、加藤正俊、工藤崇士、小森敏孝、佐久間卓、滝川桜子、太刀岡貴司、富澤文雄、野村茂樹、平井康雄、堀江泰夫、町田光髙、三宅良太、安井慶治郎、山本岩男

                                               (岡田一郎 記、佐久間卓 写真)