演題:「江戸吉原と蔦屋重三郎」
講師:田中圭子氏(東京芸術大学美術館助教)
日時:4月19日(土)14:00~16:00(開場13:45)
会場:サンパルネ・コンベンションホール
NHKの大河ドラマ「べらぼう 蔦重栄華乃夢噺」に登場する主人公の蔦屋重三郎と、舞台となった江戸・吉原の遊郭について近代日本美術史を専門とする田中圭子先生に講演していただきました。
「べらぼう」は過去の大河ドラマの歴史の中で、取り上げられることがなかった江戸時代中期の物語で、しかも実態について正面から語られることが少なかった「遊郭」としての吉原が舞台となって物語が展開します。
今回の講演は時代劇の枠を超えて広く関心を呼ぶテーマだったこともあり、新聞などで告知をした段階から市外からも多くの問い合わせがあり、来場者数はコロナ禍以降では最多の満席の151人を記録しました。
講演は大きく分けて3部構成となっており、第1部は、物語の主人公である蔦重こと蔦屋重三郎の人物像と江戸文化に果たした功績を解説。第2部では遊郭としての吉原の300年に及ぶ歴史を振り返りました。第3部は蔦屋重三郎が発信したさまざまな江戸の文化について幅広く解説をしてもらいました。
いずれも豊富な図版や資料をスクリーンに映しながらの解説で、分かりやすく、しかも中身の濃い講演となりました。
蔦重は生まれ育った吉原で、遊郭で暮らす女性たちへの貸本事業を通じて女性たちのニーズをくみ取り、「遊びのトータルプロデュース、おもてなしのプロとして江戸の文化をボトムアップしていった」と田中先生は解説します。吉原から日本橋へと本拠を移してからは十返舎一九や滝沢馬琴といった小説家や、無名の新人絵師だった喜多川歌麿、東洲斎写楽らの浮世絵を世に送り出しました。47歳の若さで亡くなるのですが、墓誌には「人生は小説のようなもの。この江戸で蔦重を知らない人はいない」と刻まれるほどの有名人だったそうです。
吉原は江戸に幕府が開かれ、多くの商人や労働者が全国から江戸に集まる中、治安上の目的から公認の遊興施設として開設されたそうです。最初は江戸の中心地である日本橋近くにあった(元吉原)のですが、明暦の大火で焼失したことなどもあり、1657年に浅草の裏手にあたる新吉原に移しました。
吉原の客はもともと各地の大名などの武士と富裕な豪商たちで、営業は昼の時間だけ。夜の営業が許可されたのは新吉原に移ってからだといいます。3,000人の遊女がいたとされるなか、トップに当たる花魁(おいらん)には公家のような高い教養が求められ、芸事にも腕を磨いたとされています。武士たちの懐具合が苦しくなり、次第に一般庶民の娯楽の場へと移っていったそうです。
講演をしていただいた時点で、大河ドラマ「べらぼう」は15回の前編のうち14回が終了。このあとドラマの後編では、蔦屋重三郎の活躍が吉原から日本橋を中心にした江戸市中へと移り、一方で寛政の改革による引き締めも待ち受けているのですが、田中先生はドラマの「ネタバレ」に配慮しつつ、「江戸のメディア王」として活躍する蔦屋重三郎を取り巻く多彩な人物や時代背景を分かりやすく解説してくださいました。大河ドラマの後編を楽しむうえでも大変有意義な講演となったと思います。
◎来場者数 151名(市民等111名 会員・ご家族40名)
会員名(敬称略)青山、阿部茂、伊藤、井原、大内、小野(浩)、加藤、上町、鴨田、黒田夫妻、小林(裕)、崎山、佐久間夫妻、副島、髙橋(正)、滝川、田口、田島夫妻、田邉、當間夫妻、戸田、富澤夫妻、中島、中村(幸)、羽倉、平井、藤井、真泉、三宅、安井、安田、山上、吉田勝、
倉田(元会員夫人)、野中(元会員夫人)
(中島 章隆 記、佐久間 卓 写真)