今年の旅行会は5/12(火)~13(水)に会員・家族22名が参加し、松本浅間温泉で一泊して新緑の信濃路を巡りました。

第一日目は諏訪大社上社、高島城、諏訪大社下社、万治の石仏、旧開智学校を巡って、松本浅間温泉・地本屋で一泊、宴会、二次会で夜遅くまで盛り上がりました。

第2日目は安曇野を巡り、碌山美術館、穂高神社、大王わさび農場(見学・昼食)、拾ケ堰(散策)、道の駅・ほりがねの里(休憩・買い物)を訪れました。

予想外の好天に恵まれ、初日は南アルプス、八ヶ岳、二日目は北アルプスの山々を望むことができ、高橋幹事の山の解説で一層印象深いものとなりました。往きのバスの中からアルコールも入って和気藹々、高橋幹事の歴史講和も聞きながら、新緑の信濃路を2日間の旅を楽しみました。

            「バスからの甲斐駒ヶ岳」

 当日は天気予報が幸運にも大外れで、南アルプスの甲斐駒ヶ岳も望めるなど2日とも好天に恵まれました。

「諏訪大社上社」

 諏訪大社は信濃国一の宮で、全国の1万有余ある諏訪神社の総本社。古事記、日本書紀にも出てくる国内で最も古い神社の一つとされています。

諏訪大社上社「一の御柱(おんばしら)」

7年に1度の御柱祭は来年4月、既に木の伐採が始まっているということです。境内を案内してくれた門前の土産店のおかみさんの説明がなかなか楽しいものでした。

「高島城」

1598年築城当時は城の際まで諏訪湖の水が迫り湖上に浮いて見えたことから、諏訪湖の浮城と呼ばれた名城。明治の廃藩置県で城郭は撤去され、昭和45年に天守閣が復興されました。

「諏訪大社下社」 

「万治の石仏」

 万治3年(1660年)諏訪大社の大鳥居を作る石材にしようとノミを入れたところ傷口から血が出てきたために職人たちは祟りを恐れてこの石仏を阿弥陀如来として祀ったということです。

「旧開智学校校舎」

重要文化財の旧開智学校校舎は明治6年に開校されました。廃仏毀釈で廃寺となった建物を利用しながら、文明開化の時代の中で和風と洋風が混じった擬洋風建築を特徴としています。

「浅間温泉・地本屋」

信濃県人会(藤沢、池田、加藤)の主導で楽しい宴会、長野県歌「信濃の国」を6番まで高らかに歌い、宴会も盛り上がりました。

「碌山美術館」

日本近代彫刻の扉を開き、東洋のロダンといわれた荻原守衛(碌山)の作品と資料を公開する碌山美術館は1958年に30万人の寄付と支援によって開館しました。

「穂高神社」

安曇野の本宮の他に上高地に奥宮、奥穂高岳山頂に嶺宮があり、日本アルプスの総鎮守の通称があります。

「大王わさび農場」

北アルプスの湧水一日12万トンを利用した国内最大のワサビ田といわれています。 

英語の会メンバーが日頃の練習の成果を発揮し、オーストラリア旅行者に頼んでシャッターを押して貰った全員集合写真(大王わさび農場にて)

「拾ケ堰(じっかせぎ)」

正式名称は拾ケ村組合堰。扇状地のため地下に水がしみ込んでしまう乏水地域である安曇野で最大規模の灌漑用水路。標高570mの等高線に沿って流れる横堰で延長15km、1000haに灌漑しています。

参加者:赤荻、阿部、井垣、池田、大内、加藤、木野、同夫人、倉田、黒田、幸田、高橋(正)、滝川(桜)、當間、同夫人、長井、長野、南湖、藤沢、守屋、山本、吉田(勝) 計22名

(文:吉田(勝)、写真:赤荻、山本)