第111回市民雑学講座 演題:「早稲田雑学あれこれ」
日時:2022年4月9日(土)14:00~16:00,
会場:サンパルネコンベンションホール
講師:井原徹氏(当会会員、早稲田大学職員・理事→実践女子学園理事長→白梅学園理事長)市民雑学講座111回
早稲田大学の隅々までを知っている井原さん(38年勤務)にもう一つの早稲田をエネルギッシュに語って頂きました。そのテーマは総長選挙、商学部不正入試事件、新校地選定(幕張対所沢三ヶ島)の裏側,革マルの大学提訴などを含む今まで聞いたことのないビックリする下記のような大学の歴史的事件などでした。
①校歌の裏話:1901年の創立25周年(1882年創立)に制定。曲はイエール大学の学生歌が原曲。詩は学生から募集し相馬御風が作詞。その後変更「あれみよあしこの」→「あれみよかしこの」。
②校章 井原さん36歳(総務部):創立100周年時、形状を確定して米粒の数を片側19粒に統一。若き職員(井原さん)が理事会に洒落(創立1882年=1+8∔8∔2=19)で進言し採用される。校章は1902年、1906年、1982年に変更され、現在の19粒の稲穂が垂れたデザイン(井原さん提案)になる。
③総長のパートナー36歳(総長秘書):早稲田大学は総長(任期は一期4年で2期まで)が学長、理事長を務める。初代総長(大隈重信1907年~1922年)以来、現在は第17代総長(田中愛治2018年~)。9代時子山、10代村井、11代清水、12代西原、13代小山、14代奥島、15代白井総長7代のパートナーとして総長秘書、財務部長などを務める。総長との確執から白井総長からは辞表を求められる事もあり。
④新校地選定(1982年100周年事業) 36歳(総長秘書):1980年5月頃、それまでの幕張15万坪(海洋学部創設を目的に村井総長主張)に対抗して、所沢三ヶ島(清水総長主張)が急浮上、論争の結果、所沢三ヶ島に決まる。校歌「都の西北」が歌える位置が決め手。
⑤クリントン・アメリカ合衆国の現職大統領来校(ヒラリー夫人同伴) 47歳(秘書課長):
1993年7月7日来校。選ばれた理由(多様性の伝統と卒業生の世界での活躍)に納得し受諾。早稲田の歓迎責任者は井原さんと他一人。ホワイトハウスの全権大使を自宅に招き、奥さんの手料理のおもてなしは大成功。但し困ったことも多々あり。大学
周辺に革マルが押し寄せ大統領へ帰れとのシュプレヒ周辺に革マルが押し寄せ大統領へ帰れとのシュプレヒコールを受ける。なお前年ゴア副大統領が慶應大学を訪問している。
⑥革マル裁判 50歳(財務部長):1997年商学部自治会費返還請求裁判で革マルが牛耳る自治会が大学を提訴。敗訴時は退職を覚悟して、新任財務部長として証人喚問に応じる。絶対に嘘は言わない事をモットーに証言、革マルの俊腕弁護士の不在も有り大学側の完全勝訴、退職を免れる。
⑦早稲田大学に勤務していたからこその貴重な体験:東伏見の馬術部、園遊会での明仁天皇
陛下と美智子皇后陛下(当時)との対面でお言葉を頂戴する。
多様性を尊ぶ伝統を持ち、人を大事にするユニークな早稲田大学を愛する井原さんの気持ちが溢れ、若々しく情熱に富みエネルギッシュな講演でした。

参加者30名:今回はコロナで市民を招待せず、会員限定の開催。青木、阿部(淳)、伊川、
石井(光)、市川(彰)夫人、井原、大内、岡田、尾島、小田、加藤、紅松(容)、黒田、小森、
坂本、崎山、清水、高橋(正)、高柳、滝来(京)、田口、當間(昭)、富澤、野村、町田(和)、町田(光)、三宅、安田、山本(岩)、吉田(勝)。 (町田 和夫 記、大内 写真)