会場 : サンパルネ・コンベンションホール
講師 : 櫻井 彦氏 宮内庁書陵部首席研究官
演題 : 『北条義時の生涯』
講師略歴:1964年東京都生まれ、早稲田大学第一文学部卒業後、
同大学院文学研究科修士課程修了。博士(文学)。専門分野は日本中世史。
会員、家族のほか、過去に受講した市民の方を対象に前回に引き続き対面での開催となりました。
当日は70名(市民35名、会員・家族35名)の方が来場されました。
◆北条義時(1163年~1224年):源氏将軍3代に仕え、第2代執権として後鳥羽院との承久の乱に勝利した鎌倉幕府草創の功労者。
◆源頼朝の側近:北条家はもともと伊豆国の弱小豪族。姉の北条政子が頼朝と婚姻を結んだことで源氏と外戚関係となる。頼朝を支え続けた北条家は鎌倉幕府が開かれてから強い権勢を誇る。兄宗時没後に将軍に側近として仕え、将軍による御家人の所領の保証(御恩)に対し御家人が将軍に仕える(奉公)御家人制度を確立。
◆父時政との決別:頼朝没後に初代執権として幕府を主導した父時政の対抗勢力排除の姿勢に対して反対を唱える。御家人も義時、政子に協力。
◆執権就任と3代将軍源実朝:時政と義時は頼朝への服属(奉公)意識に温度差。時政が畠山重忠の乱で失脚後に2代目の執権として御家人制度の再構築に傾注。3代将軍実朝の京都への関心は頼朝の距離感(並立)とは異なっており御家人の不満が生じた。
◆承久の乱(1221年):実朝を取り込む事で幕府を朝廷内に組織化したい後鳥羽上皇が、将軍実朝の暗殺に乗じて鎌倉幕府を倒そうとして兵をあげた。しかし北条義時に鎮められた戦。朝廷側の三上皇は流罪になった。東国武士が西国領土を所領する事になった。
◆おわりに:側近として頼朝の幕府運営を間近で経験し、承久の乱では頼朝の名の下に御家人を結束させて勝利。その後は義時の想定に反して、鎌倉幕府が全国政権化し強大化することになり朝廷を凌駕するように
なった。没後には頼朝の先例回帰の御成敗式目(武家社会の慣習・道徳を成文化)が制定された。
櫻井講師は今年7月から9月に全8回にわたり早稲田大学エクステンションセンターで同名の講演を実施されました。本講座は同講座を縮小されての講演でしたが講師には時間内でわかりやすく纏めていただきました。会員からの質問に対して「歴史は暗記するものではなく必然性を考える学問である」という回答には感心しました。
会員・家族参加者(敬称略)35名:青山、阿部(茂)、阿部(淳)、市川(彰)夫人、大内、岡田、尾島、小野(浩)、
加藤、上町、黒田夫妻、小森、崎山、高木、高柳、滝川、滝来(京)、滝来(洋)、當間夫妻、戸田、富澤、
野村夫妻、平井、藤井夫妻、真泉、町田(光)、町田(和)、三宅、安田、山本(岩)、吉田勝
(小野 浩一 記、大内 一男 写真)