7月23日(日)は、多少小雨に降られましたが、カンカン照りと違ってある面では絶好のウォーキング日和でした。参加者も千葉先生のお陰で14名と多く、良い企画であったと好評を頂きました。JR日暮里駅から少し歩くと幕末の上野戦争の弾痕を残す経王寺があります。千葉先生のご指摘で一部の人が見ることができました。その後、夕焼けが美しいので有名な夕焼けだんだんを下り、下町風情が残る谷中銀座を散策し、トルコの国の店で女性陣が待望のシナモン等の買いものを楽しみました。 谷中銀座を通り抜けるとよみせ通りに突き当たる。よみせ通りは、中央区と台東区の境界である旧藍染川の埋立地で、その為に蛇行しているのでへび道ともよばれる。 へび道を左折すると、当日行かなかったが鈴木春信の美人画のモデルになった江戸時代の三大美人といわれた 笠松お仙の碑が大円寺にあります。 へび道を右折し不忍通りを横切ると森鴎外記念館がある団子坂があります。団子坂には、佐藤春夫居住跡、青鞜社発祥の地がありましたが、今は駐車場になっています。 下見の時に、その存在地を探すのに記念館、近くの本郷図書館の人に聞きましたが、全く分からず、近所の本屋さんの80歳を過ぎた老人から今はないことが判明しました。このことを千葉先生はご存知でした。さすがですね。 さて、本番の森鷗外記念館です。館内は会話厳禁のため千葉先生を 始め夫々じっくりと見学しました。 記念館のある文京区千駄木は、 鴎外がその半生を過ごした地です。記念館が建つ場所は、鷗外の 旧居「観潮楼」の跡地で、 鷗外は1892(明治25)年から、 亡くなる1922(大正11)年までここで過ごしました。 現在「観潮楼」は昼食を取る予定の水月ホテル 鷗外荘に移設されて おります。 記念館には、小説家、戯曲家、評論家、翻訳家、陸軍軍医といくつもの 顔をもつ鴎外の傑出した業績を示す展示品を見学し、才能と共に、 文化人たちとの交流からも人間鷗外の大きさを知ることができました。 当日は、「森鷗外三兄弟―鴎外と2人の弟」と題してコレクション展も 開催されていました。 その後、武蔵野台地の東端沿いにスカイツリーを眺めながら永井荷風のゆかりの薮下通りを根津神社方面に向かって散策しました。その薮下通りを日本医科大学の手前で右折坂を上ると右側に夏目漱石旧居跡を示す表示板があります。この旧居では、皆さんお馴染みの”吾輩は猫である“等を執筆しました。表示板の裏の塀には、その題材猫像があります。 次に、根津神社に行き参拝しました。根津神社には、森鷗外が贈呈した弾丸の形状をした碑がありました。その後、森鴎外の居住跡である観潮楼のある水月ホテルに行きましたが、 残念ながら昼食をとる先客のために、外部からの見学となりました。同ホテルで、豪華で美味しい弁当を取って帰路に就く、文学を味合う約4.5kmの散策でした。 参加者:青木(淳)・阿部・市川夫人・出田・倉田・清水・滝川(桜)・滝来(洋)・髙橋(正)・同夫人・千葉先生・山本(岩)・吉澤(勇)・富沢(記)